最新DNA解析が明らかにする古代日本の多様性

今朝の日経新聞に「科学で迫る日本人:祖先どこから」という連載の中編が掲載されていましたので紹介します。

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近年のゲノム研究により、古代日本列島の人々の遺伝的背景に驚くべき洞察がもたらされています。特に弥生時代からの渡来人が日本列島全域に広がり、既存の縄文人とどのように交わったかが明らかになりつつあります。これにより、古墳時代や平安時代の日本列島が、非常に多様性豊かな社会であったことが浮かび上がってきました。

旧石器時代にホモ・サピエンスが日本列島に到来し、縄文人として定着しました。その後、弥生時代以降には朝鮮半島などからの渡来人が各地に広がりました。この混合の速さや広がりには地域差がありました。例えば、北海道では縄文人が外部の集団とほとんど混合せずにアイヌの人々になったとされていましたが、最新のゲノム解析では異なる結果が示されています。琉球大学の佐藤丈寛准教授らの研究では、北海道礼文島で出土した約900年前の人骨のゲノム解析により、極東ロシアの2種類の集団と縄文人の子孫が混ざり合っていたことが判明しました。

この研究から、北海道への2回の移住があったと考えられます。まず約2000年前にカムチャツカ半島からの移住者と北海道の縄文人が混合し、さらに約1600年前にアムール川流域からの移住者と混合しました。この過程でオホーツク文化が形成され、独自の文化を持つオホーツク文化人が誕生しました。アイヌの人々も縄文人の遺伝情報を約7割受け継ぎつつ、オホーツク文化人の影響を受けていた可能性が示唆されています。

一方、沖縄でも縄文人と外部集団の混合が進んでいたことが分かってきました。従来の「二重構造モデル」では、沖縄の縄文人はほとんど外部の集団と混ざらずに現在に至ったとされていました。しかし、近年のゲノム解析により、約900年前の平安時代後期以降、九州南部からの移民との混合が進んでいたことが明らかになりました。琉球大学の木村亮介教授らの研究では、11世紀後半のグスク時代に渡来人と九州以北の縄文人の子孫が移住し、沖縄の縄文人と混合していた可能性が示されています。

また、本州でも地域によって縄文人と弥生人の混合に差がありました。岡山大学の清家章教授らの研究では、和歌山県の磯間岩陰遺跡から出土した5世紀後半〜6世紀後半の人骨のゲノム解析により、縄文系の人々がこの地域に残っていた証拠が見つかっています。この混合の遅れは農地不足が一因と考えられますが、詳細な理由はまだ解明されていません。

これらのゲノム研究は、古代日本の人々の遺伝的多様性と文化の融合を明らかにする貴重な手がかりとなります。遺跡や歴史書では見えなかった多様な歴史が、今後もゲノム解析を通じて解明されていくことでしょう。科学の進歩により、私たちは過去の人々の生活や社会構造をより深く理解することができるのです。

2024720 朝刊サイエンス面
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG054G70V00C24A7000000/?fbclid=IwY2xjawEdHK5leHRuA2FlbQIxMQABHU9nNGmJTlIGyG9-2ghGVLcEeYUbqAWyMu1_5rf9ylEfJihVB8YDtxDL6w_aem_ZD2rvKKs_Q3xEUjdv9NDBg

 

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